メディしるば

ひろく、ふかく、みんな。

知識について

皆さんは知識をたくさん吸収してきたことでしょう。学校で、家で、会話から、授業から、映画から、音楽から、本からetc.
それらすべての知識は本当に「知識」なのでしょうか。

ここで身近な例を考えてみましょう。
フランス革命が勃発したのは西暦1789年である」
このことについて私が知っているとき、一般的にこれは知識と呼ぶでしょう。
「明日の天気は快晴である」
このことについて私が知っているとき、これは知識と言えるのでしょうか。
「この世界は主がお作りになった」
このことが事実だと私が信じているとき、これは知識と言えるのでしょうか。

たったいま挙げた3つの例では、知っていることが事実であるか・当該者がそのことを知っているかの2点が重要になっています。では、本人が知っている事実のみが知識なのでしょうか。

「Aくんは怒りっぽい」
このことを知っている人にしてみれば事実ですが、他人からそう信じられているかはわかりません。
「Ag+水溶液にCl-イオンを多量加えるとAgClの白色沈殿が生じる」
このことは他人から見ても変化のしようがない事実に見えます。
「この映画を見ると私はいつも涙を流してしまう」
このことについて私が認識しているとき、これは知識と言えるのでしょうか。
CORE i7は処理性能が高い」
このことが一般的に言われていることだとして、これは知識と言えるのでしょうか

この4例を見ると、知識と呼べる事実もあれば、呼べない事実もあることがわかるでしょう。

 

このように、私達が蓄積してきた「知っている事項」の一部は「知っているだけの事項」なのです。「知っているだけの事項」は、確かに日常生活で役に立つことは多いですが、理論の体系を作り上げたり論理的な文章を書く上では錆びた釘・腐った建材のような存在となってしまいます。大学生の教養の無さが叫ばれている今、私たち学生がすべきなのは「知識」の判別と「知識」を獲得するための練習なのだと思います。

 

知識と呼べない事柄について数多くの経験を積むと同時に、自分が知っていることを分析し・分類し・更に質の高いものへと変えていく、そんなことを普段から心がけていくことが、教養ある人間への近道であると私は確信しています。