臆病であること
「おまえ臆病だな」
「あいつは意識高い系だからなぁw」
あることに対して周到な計画を立てたり、日々努力を重ねたり、自らをより厳しい環境へ置いたりしている人に対してしばしばこのような言葉を投げかける方がいます。
臆病で、意識が高くて、何が悪いんですか?
確かにそのばその場で迅速な判断をして、即効性のある対策をとるという術も必要でしょう。しかしながら、「臆病である」ことなしには元々想定していたレベル以上への飛躍は望めないのではないかと思います。
狩猟採集生活の時代では、目の前に大きな獲物がいたとしてもその時々の状況を考慮して「臆病になる」ことで、人的被害を防ぎ子孫繁栄へと繋がっていたのかもしれません。
現代でも、日常生活で「臆病であり続ける」ことによって、起こるはずの無かった事故・テストの赤点・待ち合わせへの遅刻を殆ど防ぐことができますし、それだけではなく、「臆病であった」がために必要以上の準備をし、潜在的に必要性があった事項に対しても素早く対応できるようにもなるでしょう。
臆病であり、意識を高く持ち続けることは決して悪いことではありません。
特に、進むべき道を迷いやすく、吸収するべき内容の多い生徒・学生の私たちこそこの精神が問われてくるのではないでしょうか。
A coward's fear can make a coward valiant.
by Owen Feltham (1602-1668)
次回はたぶん医学部に入った理由について書くと思います(適当)